訃報に接して
コーチ仲間のお父様が亡くなられて、
お通夜に参列した。
連絡が回ったのはお昼ごろだったのに、
コーチ仲間が何名も駆けつけた。
気丈に喪主を務める友人の姿に、
いろんな思いが頭をよぎる。
彼の悲しみに思いを馳せたり、
どう声をかけたらいいのだろうと思ったり。
そして、いずれ訪れる両親のときのことを考えたり。
黙っていると、体の中で悲しみと不安がぐるぐる巡る。
喪服を着る回数は、会社員のころのほうが多かった。
当時は、仕事上のおつきあいで列席して、
会場受付を担当することが多く、
滞りなく任務を果たす緊張感のほうが大きかった。
最近は、喪服を着るたびに、その重みを感じる。
友人が喪主を務めたり、
亡くなった方の年齢が両親と近かったり、
両親と同じ病名だったり、感情がその場で溢れてくる。
夕方、喪服で外出する私の背中に、
母が心細そうにつぶやいた。
「あんたのような仕事をしてると、
私が死んでも、仕事休めないよね」
胸が詰まって、ことばが出なかった。
「そんなことないよ」と、
つとめて明るい声を出すのが精一杯だった。
親の命より重い仕事なんてないから。
どんなに大きな仕事でも、
私にとって大事なものは見失わないから。
優先順位ではなく、
そういう概念を超えた世界にあるものだから。
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