それでもボクはやってない
DVDで「それでもボクはやってない」を見た。
片手間に眺めようと思って見始めたのに、
気がつくと、食い入るように見て、主人公を応援していた。
映画だとわかっているのに。
むしろ、映画だから、なのかもしれない。
無実の人を罪人にしてはいけない。
あまりにも恐ろしく、あまりにも不条理。
それを引き起こしかねない種は、私の中にもある。
気づいて、ぞっとした。
この話を、映画ではなく、ニュースで見聞きしていたら、
私はきっと、この男性を疑ってしまうだろう。
見ず知らずの人を、何も知らないまま。
主人公のお母さんがつぶやいた、
「裁判は悪い人を裁くところだと思ってました。」
のことばが、頭の中にこだまする。
被告=悪い人 という図式が、いつのまにかできている。
ただでさえ、「やっていないこと」を証明するのは難しい。
ないものはないのだから。
それを、こうした社会的な思い込みが渦巻く中で、
疑念を晴らすのはどんなに難しいことだろう。
どうしても、裁判員制度のことが頭に浮かぶ。
「犯人でない」という事実を知っているのは、
本人と真犯人。
第3者は、どんなにプロでも、推定しかできない。
誤った判断がされてしまったとき、
「やってない」という事実は、どこにいってしまうのだろう。
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