共感スイッチ発動の夜
午後から実家に戻り、
明日から手術のために入院する母の準備を手伝いながら、
とりとめないおしゃべりを聴く。
日ごろゆっくり話せる相手があまりいないうえ、
手術の不安も手伝って、
「○○先生がね・・・」
「この前、美容師さんがね・・・」
「○○さんが電話してきてね・・・」
「この前、○○を買ったんだけど・・・」
「最近、ケータイの調子が悪くて・・・」
いつになく、話題は次々と脈絡なく飛びながら、
途中で話が終わったり、また同じ話になったりしながら、
ずっと話し続ける。
こんなとき、コーチングを学んでいてよかったなと思う。
理解スイッチをオフにして、
共感スイッチだけを思いっきり発動する。
何の話か、何がいいたのか、どうしたいのか、
そんなことはたぶんどうでもよくて、
不安だから何か話していたくて、
一緒に過ごす時間の間をもたせたくて、
私と一緒にいなかったときのことを伝えようとして、
母なりの歓迎、おもてなしなのだとわかるから。
私がふだん1人暮らしでは買わないのを知っていて、
食べきれない量のお菓子を並べて、
桃をむいて、アイスクリームを出してくれる。
母のおもてなしへの私のお返しは、ともにいること。
一週間、自宅で、病院で、また自宅で、
出来る限り、いっぱい一緒に過ごします。
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