藤巻幸夫さんとの小さな接点
今朝から、Facebookのウォールには、
元伊勢丹カリスマバイヤーとして名を知られた
藤巻幸夫さんの訃報が並ぶ。
私はかなり前に2回ほど講演を聞いたことがあり、
関連記事:「藤巻幸夫さんの「巻き込む経営」」(2004.07.13)
パワーポイントもレジュメもなしで、
勢いよく語る熱さと、時折見せるいたずらっぽい表情に
ひきつけられたのを、今もはっきりと思い出せる。
当時は福助の再建を担われていて、
本社を東京に移転されるときのエピソードを、
「よそから来た社長が勝手に決めたらダメだろうと思って、
役員を集めて、選択肢を出して、どこがいいか考えろって
みんなに選んでもらったんだよ。」とおっしゃる。
その選択肢を、
「NY、パリ、ミラノ、東京」と明かされたときの表情は
少年のような笑顔で、
「え~~~」と思いながらも、なぜか憎めない。
最前列で聴いていた私に感想を求められたので、
「私は堺で生まれ育って、本社の横をよく通っていたので、
ちょっとさびしいです。」
と率直に話したら、
真顔になられて、やさしいまなざしで見つめながら、
「そうか。。。 堺からなくなったわけじゃないんですよ。
本社機能が移っただけで。
福助にとって堺はこれからも大事にしていきますよ。」と
ゆっくりと語ってくださったのが、とてもうれしかった。
まだまだやりたいことがあったとは思うけれど、
ご冥福をお祈り申し上げます。
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