「偽りなき者」に、人の判断の危うさを考える
DVDで「偽りなき者」を観た。
「偽りなき者」
主人公の男性は、
仲良しの5歳の女の子の他愛ない発言で、
性的虐待を行ったに違いないと周りの大人たちが騒ぎ、
どんなに否定しても、犯人にされていく。
女の子があまりの騒ぎに驚いて、発言を否定しても、
「ひどい目にあったから。」
「小さな子どもが嘘をつくはずがない。」と、
逆にかばわれ、同情を集め、
主人公はますます街中の人から疎まれる。
ほとんど救いがないストーリーで、ラストにもびっくり。
小さな子どもは、気をひくために、何気ない作り話をする。
それがどんな影響を及ぼすか、思いもよらなくて、
大人の常識からみると、かなり残酷なことも言う。
学生のころに保育園でアルバイトをしていた経験からも
それがわかるだけに、
大人たちの思い込みが痛々しくて、胸がつまる。
この女の子役がかわいらしくて、困った表情がリアルで、
抱きしめたくなるほどひきつけられる。
でもこうやって、主人公を応援していられるのは、
映画を観ている立場だから。
もし私がこの街の住民の1人なら、まちがいなく
けがらわしいと心の中でののしって、近寄らない。
きっと、主人公を苦しませる側に加担する行動をとる。
生理的な嫌悪感は、冷静な判断力を奪う。
そして、暴力的な集団心理を引き起こす。
そう思うと、とてもおそろしい。
この感覚、何かに似ていると思ったら、
かなり前に観た、
「それでもボクはやってない」を思い出した。
関連記事:「それでもボクはやってない」(2008.07.06)
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ぼくの知る限り、あなたが仮にその町の住人でもそんなことする人じゃないと思いますよ。
投稿: とりあえず、さんでもいいや | 2014.05.19 00:26
ありがとうございます。
直接相手にイヤな行動や言葉は投げかけなくても、
身を守るために相手を避けるだけでも、
傷つけてしまうのだと思います。
難しいですね。
投稿: まこ | 2014.05.19 22:24