パンダから考える図と地のコミュニケーション
パンダのニュースの話題から、
友人から、
パンダが大好きな4歳の姪御さんを
初めて動物園に連れて行ったお話を聞く。
行く前から大はしゃぎだった姪御さんは、
「パンダ見る」「パンダ見る」と連呼していて、
やっと念願のパンダ舎の前に行き、ご対面!
そこでも、彼女は「パンダ見る」と叫ぶ。
「これがパンダよ。」と言っても、
「パンダ見る」「パンダは?」と言い続け、
とうとう、大泣きしてしまったという。
毛並みが真っ白ではなく、
のそのそと動く目の前の動物は、
ぬいぐるみやイラストの愛くるしいパンダとは
別のものに見えたのでしょう。
4歳で知った現実はかわいそうだけど、
ほほえましいエピソード。
同時に、
大人の世界でもこういうことがあるなぁと思う。
心理学で、「図」と「地」という考え方を学んだ。
イメージ(図)と実物(地)は異なる。
見聞きしたことを
絵やことばで
表現すると、
全てを表現できず、
注目した部分だけが
浮かび上がり、
大部分が背景化して
意識から削除される。
よく、「ルビンの壺」が
説明に使われる。
人によって注目するポイントが違うと、
同じ体験をしても、印象に残る点が異なり、
記憶や解釈にズレが生まれる。
わかってもらえない、聞いてなかったという
ミスコミュニケーションは、
自分にとって大切な「図」が
相手にとっては「地」で、背景になってしまって
印象に残らなかっただけかもしれない。
自分は何が大事だと思うのか、
相手はどう感じたのか、
そこを話すことが大事なのだと改めて思う。
パンダ→白と黒→ルビンの壺と連想して、
コミュニケーションを考える。
職業病の私でした。。。
« はじめてのお味噌汁 | トップページ | お茶会のように集客を語り合う »
コメント